自分と同じ名字の全国分布図
本日はみなさまも一度は調べてみたことがあるであろう、自分と同じ名字の人が世の中にどれぐらいいるのか、さらには自分の名字の祖先はいつどこから始まった?
などについて興味をもちましたので調べてみたことをブログ投稿いたします。
とはいえ、本当に便利な世の中です。何の苦労もせずにインターネットでいろいろ分かりました。
まずはこちらのサイト(https://www.dmuchgis.com/myojimap/)で自分と同じ名字の樋口さんはどこに住んでいる人が多いのか検索してみました。
(世帯数)
一位 東京:5137世帯
二位 大阪:4668世帯
三位 福岡:3970世帯
四位 新潟:3216世帯
五位 神奈川:3021世帯
一位東京、二位大阪、三位福岡となり、人口密度なりに全国に平均的に存在する何の変哲もない名字のようで、少しがっかりしました。
ただ、よく見ると四位の新潟県が人口の割には世帯数が多いようです。記憶の限り新潟の地を一度も踏んだことのない私は、『新潟には何かあるな、調べねば。』と次の検索をしてみました。
それは樋口の姓を最初に名乗った人は誰か、です。
インターネットの情報によると平安時代末期、源氏に仕えた武将の中原兼遠の次男にあたる樋口兼光だということが分かりました。中原氏は現在の長野県を本拠とした豪族とされているため、おそらくはお隣の新潟県へ多くの樋口姓が移っていったのかなと想像しています。
そうなると、樋口兼光とはどういう人物だったのかということが気になります。そのままあれこれ調べていくと、個人的にとても興味深い情報を得ることができました。
あるブロガーさんから得た情報です。こちらの銅像は左から源義仲将軍、真ん中が樋口兼光、右が手塚光盛という武将とのことで石川県加賀市に実在するもの。
そのブロガーさんは全国各地の歴史的銅像を観に行くのが趣味のようで、その方が最も感動した銅像の一つということでした。
自軍の勝利が濃厚となり、敗走する敵兵もある中、最後の一騎になるまで抵抗し続けた敵将の首が、かつて幼少期に命を救ってくれた恩師のものだったことに気付き、茫然としている様子です。将軍の涙の様に見える部分は時を経て偶然そのようになっているそうです。
それらに私も強く感銘を受けましたが、失礼ながらそれよりもこの三体の像の名字にハッとしました。
有名な武将の家臣である二人の名字・・・樋口と手塚・・・手塚は私の親友の名字と一緒でした。さらにその主君の名前の漢字が『義仲』だなんて。。素敵な偶然だなと思いました。
先月の手塚くんの誕生日祝いの食事会にこのネタを持ち込んだのは言うまでもありません。
最後に・・「いやぁ インターネットって、ほんっとにいいもんですねぇ」(この言い回しに聞き覚えがある方は私と同世代以上でしょう)